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書き忘れ

アフガニスタンで夕方の雪道を走っている時に、少し前方を走っている路線バスが止まった。そして乗客の人たちがぞろぞろ降り出して、雪原を歩きはじめた。
「何だろう?」と興味を覚え、こちらも車を止めて、みんなの後に続いた。
すると、数人はどんどん先に進んで行ってしまった。たぶんバスを降りたのだろうが、「周囲に少し山影が見えるのが、広い海原のような状態で、どうやって家に辿り着けるか?慣れているとしても、凄い」と感心してしまった。
そして、大多数の人たちは、雪原に布を置き、お祈りを始めた。「日没時のお祈り」だった。

イスタンブールの駐車場に車を留めて、車上生活をしていた時に、隣にあった塔から1日5回のお祈り時間を告げる「アザーン」が流されていました。
イスラム教徒の人たちの信仰の厚さにさらに驚かされました。
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さよなら。相棒よ

雪でいっぱいのカーブルに着いて、日本大使館や旅行者からいろいろこれから行くパキスタン、インドの情報を集めた。

途中のイランのレストランのチラッと観たテレビで、「インドとパキスタンが戦争を始めたらしい」というのは本当で、まだ終わっていなくて、当然国境は閉まっているとのこと。
車では行けないではないか。車でインドを旅行して、ネパールまで行くことを断念しなければならなかった。
「困った」と言っても、いつ終わるか分からない終戦を待っていても仕方が無いし、戦争中のパキスタンまで行くのも危険だと判断して、カーブルで車を売ることを決心した。

車の凹まされた側面に「FOR SALE」というポスターを張り、街中を走り回った。
何度か声をかけられたが、あまりに買値が安かったので、断り続けた。せめて買値は欲しいと思っていたのだ。
しかし、エンジンだけは立派に動いたが、買ってから2度の衝突事故でかなり表面的に傷んでいたし、計器も正常に作動しないので、5日目ぐらいになって、「買値の半分以上にでもなれば、売ってしまうしかない」と諦めた。
そんな時に、買値の70%ぐらい出すという男が現れたので、一緒に税関まで行き、手続きをした。

インド方面から来た旅行者の話によると、「2日前に停戦した。飛行機では国境を越えられるが、国境はまだ閉まっているので、陸路では行けない。パキスタンではインド行きの飛行機を待っている旅行者が一杯いる」とのことだった。
その話を聞いて、今回はパキスタンを諦めて、インドまで直接飛ぶことに決心した。

インドに着いて、太陽と女性が眩しかった。

またガス欠

南に位置するせいか、カンダハル周辺は暖かかったので、雪景色は消えていたのですが、カーブルに近くなったらまた一面の雪景色になった。
そろそろガソリンを入れないといけないと思いながら進んでいたが、一向に見つからなかった。と言うより、街も村もが無かったのだ。日も落ちてきたのに、前方に光が全然見えなかった。
「困ったな。早く次の街に着いてガソリンを入れて、宿を探して、飯を食いたいな」と言いながら、なおも進んでいると、トス、トスっとエンジンが止まってしまった。
どうしようもなかったので、「明日起きたら、またポリタンを持って、ヒッチでガソリンを買いに行こう」ということに決めた。それしか方法が無いとも言えた。道路の少し広めの場所を探し、そこまで押して行き、端に車を留め、寝場所とした。
「頼むから追突しないでくれよな」という気持ちで、50cmぐらいの高さの雪だるまを作って、20mぐらい手前にガードマンとして置いた。
翌朝眼を覚ますと、少し先に数軒の人家が見えた。前夜は寝てしまっていて、電気を消していたのかもしれない。「売っていたら、儲けもの」と思いながら、試しにポリタンを持ってその中で一番大きな家に行き、ポリタンを示し、車を指差し、「ガソリン、ガソリン」と言ってみた。すると、「ウン、ウン」と頷いた。なんと持っていたのだ。
値段を聞くと、普段買っていた相場より少し高かったが、いつ車が通るかわからない場所で車を待って、ヒッチで買いに行く手間とその時間を考えたらその値段でも仕方がないと諦めて売ってもらった。
帰り道、道路脇に細長い穴があり、明らかに人間の大便があった。村の人たちがトイレに使っているのだと判断して、上からそこに向かって仲間と立ちションを始めたら、それを見た村人が「ドント・ピス。ドント・ピス。シット・ダウン」と叫んだ。そういえば、ここの男たちは小もしゃがんでするのだ。イスラムの人たちの公衆便所の男性用小便器には、ちょうどしゃがんだ当たりの高さに、後始末用の水道があったりもしたので、納得できます。
でも、それはここの人たちのダブダブの民族衣装ならば可能だけど、きついジーンズでは不可能です。

また衝突

アフガニスタンに入り、また少し寒くなったのと、行きかう車が減ったせいか黒い道(=雪のない部分)が片側しかなくなった。それがなぜかうまいことに黒い道はこちらの進行方向だった。そのため、だいたい反対から来る車は、こちらの進行方向側を走ってきて、こちらが見えると、正規の側に移っていた。
問題のそのトラックはこちらが見えているはずなのになかなか進行方向を変えなかった。
「なんだよ。危ない奴だな。早くどけー」と車の中から怒鳴っていたら、やっと方向を変えた。
しかし、急に方向を変えたために曲がり切れず、斜になったまま滑りながらこちらに進んできた。こちらが避けようにも右にハンドルを切ると道路から落ちてしまうので、とっさにブレーキをかけた。
そのトラックはそのまま進んできて、こちらの左側面に最後尾をぶつけ、前輪を道路から落として、斜に止まった。
こちらは多少の衝撃はあったものの、なんとか道路に踏みとどまれました。降りてその側面を見ると、ベコッと凹んでいた。
「また売値が減った。弁償して欲しいな」ということになり、いざという時のために車にあった武器になりそうなものを持って、呆然と道路から落ちてしまった前輪を眺めていたトラックの運転手のところに向かった。あっちは男1人、こっちは男4人(途中で少し降りて少し乗った)なので、なにかあっても大丈夫のような気がした。そして、こっちには心はやさしいが、見た目は怖そうな髭モジャの男がいたので、その彼を前面に押し出して、腕を引っ張りこちらの車まで連れてきて、凹んだ部分を見せ、「パイサ(お金)、パイサ」と言ってみんなで手を出した。
そのアフガン人は、そんなに悪い奴ではなさそうだった。現地語で何やら言いながら、「お金はない」というような仕草をさかんにした。着ていた服など見ると、「とてもお金を貰えそうもないかも」なんて思いだしながらも、執拗に「パイサ、パイサ」(何しろこれぐらいしか現地語を知らなかった)とやっていたら、その男は、こちらを指差して、トラックの側面を叩いた。「イスラム風の『目には目』で、壊して良いって言っているのかも?」ということになって改めて側面を見ると、不厚い3cmぐらいの板が張られていた。試しに手に持っていたトンカチで叩くが、ビクともしない。
なんだか彼も可哀そうな気になってきたし、何の進展もなさそうだったので仕方なく諦めて、「後は頑張れよ」という気持で、握手して別れた。
「また車の価値が下がったぜ」と思いながら。

ここはどこ?

イランのイミグレを出て、アフガニスタンのイミグレに向かった。と言っても、距離にして100mぐらい。荒野の真ん中の道路が鉄の柵で遮断され、両側に両国のイミグレの粗末な建物があり、中央付近に何やら大きな建物がある程度。
アフガン側の柵の前に車を置いて、イミグレに入国申請に行くと、「もう終わったから、明日来い」と言われた。「何時までなんだ?」と聞くと、「5時まで」との答え。
時計を見ると、まだ4時半だったので、「まだ5時になっていない」と文句を言うと、「いや、アフガニスタンは5時半だ」と言われた。時差が1時間あったのだ。歩いて数分のその100mで1時間違うというのは、新鮮な驚きだった。
仕方なく諦めてイミグレを後にして歩きはじめると、イミグレの机に座っていた男が「チェンジマネー?」と言い出した。「おまえは、オフィサーなのか?」と聞くと、「そうだ」と胸を張った。「彼の言うことが本当ならば、面白い国だ」というのが、アフガンの第一印象だった。
「ここで一晩明かさなければいけない」と覚悟して、さっきの大きな建物に行ってみたら、そこは、ホテル兼食堂だった。我々と同じようにどちらかの国に再入国できなくて、泊らざるをえない人のためらしい。泊るのは車で良いとして、食事でもしようかと思い、値段などを聞いてみようと中に入った。
中には「太郎ちゃん」と呼びたくなるような日本人そっくりの男たちが3,4人、ストーブにあたっていた。ジンギス・ハーンの末裔だそうだ。アーリア人が西から東に散らばった後に北から侵入して来て、一時この辺一帯を占領していたという歴史を思い出した。その後街でたくさん見かけたが、大体は苦役労働者だった。再度西から侵入してきて部族に追い出されたが、逃げきれなかった人たちの末裔なのでしょう。
食事をしたかったが、まだ両替していないアフガンか、もう残っていないイランのお金しか使えないし、少し値段が高かったので、あきらめて車にあった僅かなお菓子を食べて寝た。
「今俺たちがいるのはどこなんだろう?」と考えながら。

ブレーキが利かない!

もうすぐテヘランの街だというところあたりから、運転手が「なんだかブレーキが甘くなってきたな」と言い出した。
そして街に入ったころからますますブレーキが利かなくなった。「エンジンオイルが無くなったかも。今度ガソリンスタンドを見つけたらエンジンオイルを入れよう」ということになった」
今まではほとんど車が通らない荒野を走っていたため、信号などというものはなかったので、ブレーキは休憩、トイレタイムぐらいしか使わなくても良かったが、テヘランは大きな街なので、信号があった。前方に信号が見えると、徐行して、助手席に座った仲間がサイドブレーキに手をかけて、信号が直前に赤に変わる時に備えた。青が変わりそうにない時は、ビューと渡った。
やっとガソリンスタンドを見つけ、エンジンオイルを買って入れ替えようとしたら、そこにもやっぱり雪が詰まっていて、「掘り出す」という感じだった。何とか入れ口を掘り出して、入れ替えが終了してブレーキを試したら、きちんと止まるようになり、胸を撫で下ろしました。やっぱりブレーキの効かない自動車なんて自分も他人も危ない。

昔、ブレーキのない「ふみきり」と言われる自転車に乗って遠出をした時がある。ブレーキをかけたい時は、後ろに踏み込んで止めるというものだった。慣れないうちは信号が前方に見えるとやっぱり緊張しました。

その後、パンクしたので直そうとしたら、「こんなチューブレスタイヤなど直せない。チューブを入れるしかない」と言われ、チューブを入れてもらいました。「大丈夫かな?」と思っていましたが、その後アフガンに行って最後に車を売るまで持ちました。

あの黒い物体は?

イランでのある夜、雪道を進んでいると、前方に大きな黒い物体が見えた。「何だ?」と思いながら近づいていくと、上はたくさんの薪だと判った。その下には足と尻尾が見えたので、何か大きな動物がその薪を運んでいるのだと気がついた。

抜き去る時にしみじみ眺めてみると、なんととぼけた顔をしたラクダだった。
「♪ 月の砂漠をはるばる(ここで宣伝)と~~ ♪」という鳥取砂丘で本物の砂漠を想像して作られたという童謡が耳にこびりついていたので、ラクダは、せいぜい人やその人たちの荷物を乗せる程度でゆったり砂漠を歩いていると思っていました。このような苦役に使われているとは想像もしませんでした。確かに月は出ていたが。

続く歌詞が、「♪ 旅のラクダが~~ ♪」で、王子と王女を乗せて旅をしている。しかし、このラクダは旅をしているのではなく、ここで人と共に暮らしているというか、人のために暮らしているのだから、実態はそういうことなのかもしれない。「現実は厳しいのだ」と理解した。

実際のラクダは、「月の荒野をヨタヨタと、実生活のラクダは行きました。鞍を付けずに薪背負って」でした。
後で読んだ本によると、あんなにのんびりした顔をしたラクダも気性は結構荒いそうです。

この何日間は、道路だけは雪が無かったので、真っ白の荒野に黒い線が延々と続いていた。途中に何もないせいか、遠い街の光もかなり近く見えたようで、光が見え始めてからなかなか近づかなかった。街(村)に着くのに2時間ぐらいかかったこともありました。最初のころは、蜃気楼ではないかと思ってしまい、不安になることが何度かありました。
しかし、「前方に光が見える=人がいる」という感覚は、それが他人で、言葉が通じないと人たちだとしても、なんだかとても嬉しいものでした。

そして、車を売ったアフガニスタンのカーブルに着くまで、道路はこの状態でした。

ハンドルが動かない!

イランに入ってさらに東に進むと、気温が上がってきたせいか、凍った道路の雪が溶けだしてきた。
崖を切り出した道を登っていると、なんだか焦げた臭いがしてきた。車の中には燃えているものが見つからなかったので、「どこかでたき火でもしているのかもしれない」ということに落ち着いたが、しばらく行ってもその臭いが消えなかった。「おかしいな。やっぱりこの車かな?」などと言っていると、運転していた仲間が、「ハンドルが重くなってきた」と言いはじめた。
「溶けた雪で道がグチャグチャしているからかな?」と、のんきな会話をしていたら、今度は、「ハンドルが動かないよ!」と言い出した。「それはやばい」ということになり、車を止めて前輪をチュックしてみた。
なんと付着して圧縮されたはね上がった溶けた雪が前輪の泥除けにべっとりと張り付いていた。この雪とタイヤが擦れて、焦げた臭いがしていたのだ。そしてとうとうハンドルが動かないほどになっていたのだった。慌てて棒で突っついて取り除いてから後輪を見てみると、やっぱりべっとり付いていた。危なかった。なにせ片側は、崖だった。
でも、冷たい雪と擦っても焦げた臭いがすることを知っただけでも、勉強になったと言うべきか?

ガス欠

イランでのこと。前回満タンにしてから走った距離を計算すると、そろそろガソリンが無くなりそうだった。ちょうどあったスタンドで入れようかと思ったが、あいにく昼休みだった。

今満タンにしておくべきか、一瞬迷ったが、「ここはイランで、石油が採れるんだから、ガソリンスタンドなんかいくらであるよ。少し先に行って今度見つける頃には昼休みも終わっているだろう」ということになり、先に進んだ。
ところが、その先は山道になり、店らしきものは皆無で、どんどん登って行くのみだった。だんだん不安になってきた。戻ろうかとも思ったが、両側が雪のため道が狭くなっていて、とてもUターンなど出来るスペースなどなかったので、進むしかなかった。「もうすぐ登りも終わりかな?」と思った時、不安が的中してしまった。

補助のガソリンを入れるポリタンも空。困った。

ヒッチでそのポリタンを持ってガソリンを買いに行かなければならなかった。先がどうなっているか分からないので、確実にガソリンが買えるさっきのガソリンスタンドまで買いに行くことになった。乗せてくれる車を待つ間、とりあえず車が邪魔なので、前方横を少し掘って車を寄せようとしてみんなで掘っていると、反対からトラックが来たので、ポリタンを見せて、「ガソリン、ガソリン」と言って、事情を説明して(?)乗せてもらいそのガソリンスタンドまで戻った。幸い昼休みは終了していた。ガソリンを買いながら、そこで給油していた車に頼みこんで乗せてもらい、何とか車までガソリンを運んだ。

ガソリンの量が少ないのと、上り坂では押せないので、エンジンがかけられないから、Uターン出来るようにもう少し掘って、やっと脱出してまたそのガソリンスタンド行き、お礼を言って、満タンにしてもらった。
「おめえが昼休みを取らなかったら、こんなことにならなかったのに」という言葉を押さえながら、、、。

計器不良

エンジンをかけるために冷えた長距離トラックのラジエターを取り出して、たき火の火で温める光景も見られたくらい寒くなり、ほとんどの道路に雪がついていた。そのため、チェーンが着けっぱなしになり、仲間で押してもスピードが出なくて、エンジンをかけられなくっていた。ある夜、安ホテルの一階のレストラン(?)で、トルコのおっさんたちの間で夕食をとっていたところ、仲間の1人が、「今朝は、馬車に引っ張ってもらったからエンジンがかかったけど、毎朝エンジンをかけるのが大変だな。一晩中エンジンをかけていても、満タンにしておけば大丈夫じゃないかな?」と言いだした。

みんなあまり知識など無いので、そんなもんかと納得してそうしてみることにした。そして、翌朝起きてみると、エンジンが止まっていた。そのレストランのオヤジに聞くと、「12時ごろにエンジンが止まった」とのこと。「それならガソリンが無くなっていることは絶対にない」ということで、また馬車を頼んだり、車に引っ張ってもらったりといろいろ試したが、エンジンがビクリともしなかった。

途方に暮れていると、安ホテルのオヤジが、「近くにドイツの自動車工場で働いていた男がいるから」と言って、連れてきてくれた。彼にいろいろチェックしてもらうと、「エンジンの取り付けのネジが緩んでいるけど、それ以外の異常はないようだ。もしかしてガソリンがないのでは?」ということだった。
緩んだネジを締め直してもらい、ガソリンを入れて馬車に引いてもらったら、見事エンジンがかかった。たんなるガス欠だった。知識不足は経験で何とかなるけど、計器不良はどうしようもない。

スピードメ-ターは、どうせスピードなんか出せる訳はないので問題がなかったが、ガソリンの残量は走った距離でしか計算ができないので、この後も何回かこれに困らされた。

道路から落ちる

イスタンブールでの快適な生活(色々ありましたが、雪が降っていなかったので、今回のテーマから外れる為、割愛させていただきます。そのうちに書かせてもらいます)後、ある理由のためになるべく早くトルコを出ることになり、南に下る予定を変更して、アジアハイウエイを東に向かいました。

アンカラを過ぎたぐらいから、とても寒くなり雪が多くなってきました。20リッター入りのポリタンクの水が1晩で凍るぐらいでした。
寒くて車の中で寝ていられなくなったので、仕方なく安ホテルに泊まるようになったある朝の朝食後、出発準備のために仲間の一人がベッドの上で使用した寝袋を畳む時にバタバタやったら、天井にぶら下がっていた電気が落ちて壊れてしまった。「弁償と言われたら困るから逃げよう」ということになり、そそくさと出発した。

あいにくかなりの雪が降ってきた。アイパーは何とか動いたが、モロッコでの事故によりヒーターが効かなかったので、フロントガラスに付いた水分が凍りだし、前がよく見えなくなった。板などで必死に氷を剥がしながら進んで行った。しかし、荒野に50cmぐらいのの高さに土を盛って舗装した作った道路が曲がっているのに気がつかず、まっすぐ行って落ちてしまった。同時にエンジンも切れてしまいた。必死に押してエンジンをかけようとしたが、荒野でしかも雪。まるで動かない。そのうち周囲のトルコ人のおっさんたちも5.6人集まってきて手伝ってくれたが、全然ダメ。途方に暮れていると、トルコ軍のジープが通りかかった。「あれしかない」と思い、みんなで道路に出て、止まってもらい、ロープで引っ張ってもらった。さすが軍のジープ、力強く、なんとか道路に乗せてもらった。ヤレヤレ。その後、おっさんたちに押してもらってエンジンをかけて脱出できました。

「トルコの人たちはなんて親切なんだ。ありがとう」と思っていたが、その後でお湯を沸かそうとしたら、煮炊き用のガソリンコンロこんろが1台無くなっていた。
感謝して損したーーーーー。

久しぶりの雪景色

今週初め、東京にも久し振りに雪が積もり、雪で悩む日本海側の人たちには大変申し訳ないと思いながらも、つかの間の雪景色を楽しませてもらいました。

眺めながら、雪にまつわるいろいろな出来事を思い出していました。何故か特に昔の旅行中のこと。

昔、これからアジアを通って日本に帰ろう(貧乏旅行者の聖書に近い深夜特急の反対ルートになります)と決め、マドリッドのユースホステルで最後のヨーロッパ(他の国と比べるとアジアに近い感じがしますが)を味わっていた時に、一緒に泊まっていた日本人の一人が、「ネパールまで車を運ぶと儲かるらしい。アムステルダムでアメリカ人が今まで旅行で使っていた車を400ドルぐらいで売っている」と言い出した。ガソリン代が儲け分で出れば、旅費は無料になるかもしれないと、自分も含めて、合計7人がこの話に乗り、早速ワーゲンのバンを買って来て、7人でネパールに向かうことになった。

でも、その前にそのうちの数人がモロッコに行き、正面衝突してしまった。慣れない右側通行のために、「危ない!」と思った時に、こちらはとっさにハンドルを左に切ってしまったのと、相手は当然右に切ったからです。
そんなに激しくはなかったので、車は動くことは動いたけど、運転席側のドアは開かなくなり、ヒーターは壊れ、スピードメーターなどの計器類が作動しなくなり、ガソリンの残量なども分からなくなりましたし、セルモーターも壊れ、駐車する時は坂道を下るよう菜場所を見つけるようにしましたが、見つからない時は、毎回押しがけでした。

そのため、イタリアで入国を拒否されて迂回したりもしました。

「今日はギリシャに到着だ」と思っていたら、直前の峠で、大雪に見舞われ大渋滞したため、一晩路上の車の中で過ごしたりもしました。ギリシャって、「海と白い建物」のイメージしかなかったので、山道と雪とは全然結びつかなかった。
こちらは凹んだ前面を隠すために、その場所にタイヤを付けていたので、エンストして動けない外人旅行社の車を後ろから押してやったり、結構楽しい旅でした。

季節がちょうど冬で、アジアに入ってからは,トルコのアンカラから先は、アフガニスタンのカンダハル周辺を除いて、カーブルまで雪との関係が続きました。

タイのレディボーイ

今朝のテレビで、「タイの航空会社が、客室乗務員としてレディボーイを採用することになり、何年か前のレディボーイのミスコン優勝者(大卒)が採用された」という報道がありました。

2009年に、日本のタレントがそのミスコンで優勝したということ、レディボーイが主役のバレーボールの映画、キックボクサーが来日したこともあり、タイにはレディボーイが多いのををご存知も方もいらっしゃるかもしれません。実際、ショーやテレビなどの芸能関係で働く人たちが多いようですが、街にも普通に働いていたりするので、驚くことがあります。

シルバーを買おうと思い、あるシルバー屋を覗くと、派手なきれいなオネエサンがいた。ちょっとドキドキしながら、「これいくら?」と話しかけると、「○○バーツ」と、太い声の答えが返ってきた。
「あれぇ、レディーボーイかよ」と、落胆したのと同時に、今度は「言いよられたどうしよう」と心配になった。
結局、何もなく、普通に買い物をしただけでした。当然と言えば、当然ですが、、、、。

お客さんに頼まれて、タイ舞踊のアクセサリーを買いに行ったときにも、隣で同じように買い物をしていたやっぱり派手できれいなオネエサンの一声を聞いてドキッとして、思わず顔を見てしまったら、ニコッとされてしまった。
あの時の自分の顔はどんなだったのだろう?見られなかったのが残念。


Bombay Bellywood

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インド映画を知っている人なら、「Bombayだったら、Bollywoodだろ?」と思う筈ですが、何でもありのベリーダンス界から、「Bellywood」なる言葉が生み出されました。

もっとも、「Bollywood 」という言葉は、インド映画界が、Bombay+ Hollywoodで創出したものではありますが。

そういえば、Bellydance+ Polynesian=Bellynesianという、ポリネシアンリズムで踊るベリーダンスもあります。フラメンコ風音楽で踊るジプシーベリーダンス、アラブ風フュージョンで踊るトライバルフュージョン、クラシック風アラブ音楽で踊るゴシックベリーダンスもあります。

今度は何かと思っていたら、「Bellywood」でした。
この言葉の生の親であるBellydance Superstarsは、この言葉を引っ提げて、今年も東京公演を行うそうです。すでに、「Bombay Bellywood」なるCDも発売されています。

インド音楽CDも取り扱っているこちらは、アラブとインドの音楽を融合させると、どんな音楽になるのだろうと、おおいに興味を持ち、早速このCDを仕入れて、聴いてみました。
このCDを販売している身としては、言ってはいけないかもしれないのですが、インド人以外の演奏家が多いせいか、インドの香りがあまりしないフュージョン系の音楽が多く、インド音楽をもっと多くの人に聴いてほしいと思っているこちらとしては、残念な気がしました。
でも、トライバルフュージョンを踊る人たちにとっては、関係ないかも知れません。

それから、最近ベリーダンサーさんたちが、ボリウッドダンスに注目して、本来のボリウッド音楽を使ってボリウッドダンスを踊ってくれているのは、嬉しいことです。応援したいと思います。

インドのホーリーをいう春のお祭り

ヒンドゥー教の春のお祭りで、「ホーりー」というものがあります。

人口の約80%がヒンドゥー教徒のこの国では、人々は街に出て、赤い粉を掛け合い、盛大に祝います。
何日も前から、街には水鉄砲が売られはじめます。
道を歩いていると、「どっから来たのか?」と聞かれて、「日本から」と答えると、手に持った赤い粉を額に付けられ、その粉をこちらに渡すので、それを相手の額に付けて、握手して別れるなんてことを何度もしたことがあります。ビルの階上から、赤い水を掛けられたりもします。

しかし、他の宗教のイスラム教徒、スィク教徒などは祝いません。調子に乗って、他宗教の人たちに赤い粉を掛けてしまったりして、喧嘩になったるすることがあるので、最近は、「あまり派手にやらないように」というお達しが政府から発せられたりしています。特にイスラム教徒とは、いまだに微妙な関係があるので。

昔、スィク教徒の人の家に滞在していた時は、「町はうるさいから」と、郊外の温泉に連れて行ってもらったことがあります。

敬虔なヒンドゥの友人は、毎年新品の白い服を着て街に出て、その日に色づいた赤い色が洗濯のたびに薄くなっていくのを見ながら夏を感じたそうです。

タイにも同様な水かけ祭り、「ソンクラン」というものがあります。ここもかなり盛大に祝われます。
バンコクなどの都会よりも地方の方が日数も多く、盛大です。チャンマイでは、この日のために道路脇の水道が開かれ、なみなみと水を張った大きな水瓶が何個も置かれていたし、トラックに水瓶を積んで、水を撒きまくっていたりします。
でも、水を掛けられた濡れたシャツを着て、クーラーの利いた部屋などに入ると寒いです。
乾燥したインドでは早く乾きますが、湿気のあるタイはなかなか乾かないし、バンコクなどは、クーラーの利いたところが多いので、結構辛い時があります。

これらのお祭りに出くわした時は、「参加することに意義がある」と思っていまので、ネパールで自転車を借りて、赤い粉を積みこんで、街を走り回ったこともあります。かなりも反撃も受けましたが、楽しい思い出になっています。
この時、最後に宿泊していたゲストハウス(庭が広くて気にいっていた)前にたむろしていたガキどもに残った粉を掛けたら、これが失敗。猛反撃を受け、10人対1人で門を境に攻防戦が始まってしまった。途中からロビーにいた日本人が数人加勢してくれたが、いかんせん多勢に無勢で大苦戦。もう許してくという心境になったが、ガキどもはますます意気が上がってきて、人数も増えてしまっていた。そんな時、ロビーから一人の日本の若者が出てきて、門に向った。
「ヤバイ、アイツやられる」と思ったが、肩を怒らせて、周囲のことに何の関心もない態度に押されたのか、彼を見たときに「カモが来た」というような顔をしてい悪ガキどもは手が出せなかった。
個人の自由だから、口を挟みませんが、、、、。

そのすぐ後に、そのゲストハウスのオーナーが帰ってきて、双方が怒鳴られて、握手してやっと終了になりました。





はじめまして はるばる屋店主です。

大学を卒業して、スイスに山を見に行き、安いというだけの理由で、陸路でアジア経由で日本に帰ってきました。
途中で垣間見た現地の人々の生活や習慣に非常に興味を持ち、

もっといろいろ知りたい



それにはもう一度行かねばならない



そうだアジアに関わる仕事をすれば良い

という三段論法と、

アジアの素晴らしさをもっと他の人にも伝えたい、それにはどうするか?



そうだ!現地に行って商品を買ってきて売る商売をすれば、自分はアジアに行けるし、彼らの文化・技・手のぬくもりを伝えられる。

などと考えて始めたこの商売。
気が付けば、もう30年以上も経ってしまいました。

アフガニスタンで何かあると、「あのおっさんは大丈夫だろうか?」、タイで爆破事件が起きると、「あの場所は、タイに行くと何回も利用する船着場」とか、何時もアジアのことを意識しています。
昨今、ベリーダンス、ヨガなどに人気が出てきました。でも、アメリカ経由の流行という感じもします。まっすぐアジアに興味を持って、好きになってくれる人たちが増えると嬉しいです。

はるばる屋のホームページは、http://www.harubaruya.com/ です。
ネットショップでのお買い物は、こちらからお願いいたします。
BBSでは、アジア関係の催し物の書き込みもご覧いただけます。

よろしくお願いいたします。
プロフィール

はるばる屋 店主

Author:はるばる屋 店主
はじめまして はるばる屋店主です。

大学を卒業して、スイスに山を見に行き、安いというだけの理由で、陸路でアジア経由で日本に帰ってきました。
途中で垣間見た現地の人々の生活や習慣に非常に興味を持ち、

もっといろいろ知りたい

それにはもう一度行かねばならない

そうだアジアに関わる仕事をすれば良い

という三段論法と、

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そうだ!現地に行って商品を買ってきて売る商売をすれば、自分はアジアに行けるし、彼らの文化・技・手のぬくもりを伝えられる。

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