バンコク便り 8

バンコク便り 8

わが航空機の出発時刻は、24:50。本当は少し寝たかったのだが、空調が悪く、暑くて寝られなかったので、売店のおネエさんと遊んだり、喫煙室に行ったりして時間をつぶしたけど、長かった。

機内に乗り込み、自分の座席に座っていると、「そこは私の席です」とタイの若者に言われた。「C 」 という席だったので、窓から3番目の席に座ったが、何故か「B」が無かったので、2番目だったのだ。確かめなかったこちらが悪いので、タイ語で素直に謝ったら、「これから日本に観光に行くので、日本語を教えてくれ」と言われて、挨拶、ありがとうなどの簡単な日本語を教えた。

反対側の隣に座った初老の日本人のご婦人は、グループでベトナムとカンボジアを回ってきたとのこと。楽しかったそうです。僕が日本から乗ってきた飛行機にも年配の日本人のツアーグループがいくつか見受けられた。彼等はタイに行くのかと思っていたら、プノンペンに行った。同じ様なコースだったのかもしれない。歳をとってからでもアジアに目を向けてくれるのは素直に嬉しかった。

ほとんど寝ないまま成田に着いた。タイの若者たちは、池袋の安宿に泊まって、東京でゆっくりしてから、箱根に行くとのことだった。「箱根は寒いぞー」と脅かしておいた。もし雪を見たかったら、北の方に行くと良いとも伝えた。「タイでは、人口の氷しか見ることができない」と彼は笑っていました。
以前、バンコクで飛行機のチケットを買いに旅行会社に行ったら、大きな雪山の写真があったので、「どこで撮ったの?」と聞いたら、「去年に日本に『雪を見るツアー』に行って、雪に触ってきた。これが俺」と写真の毛糸の帽子をすっぽり被って目しか見えない人を指差した。同じ格好の人は他にも何人もいた。「これじゃ、誰だか分からいじゃない」と大笑いしました。

昔、タイ語に何で日常生活に全然関係の無い「雪」(ヒマ)という単語があるのか、疑問に思ったことがありました。タイの山岳民族のことを書いた本を読んでいたら、「中国との国境あたりに住んでいた現在のタイ族が暖かい南に降りたので、その空いた土地に西のチベット方面からやってきたのがタイの山岳民族で、、、、」という記述があった。そうか、過去には実際に見たことがあったから、「ヒマ」という単語があるのだと納得したことがありました。
ヒマという単語とヒマラヤとは、当然関係がある筈ですね。

ところで、成田に着いて外に出て、気温表示を見たら、なんと10.5度。
頭が寒かった。
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バンコク便り 7

いよいよ最終日。空港には、午後に行けばよいので、午前中は自由に動けた。有り金をチェックして、お金が残ったら絶対買おうと思っていたいつも通るところにあるアクセサリー屋に向かったが、途中に入ったことがなかった路地を見つけてしまい、入ってみた。
すると、うち向きの商品が目に飛び込んできた。「こんなところにもあるぜ」と嬉しくなり、早速選び始めた。支払い終わって残金を数えると、もうあまり残っていない。「でも、あれは買わねば」と最初の目的の店に行き。有り金をはたいた。
ホテルに帰る途中で、白人グループがビショ濡れになって水鉄砲を持っていた。何故か白人が持っていると、世界情勢などを感じさせられて、違和感を感じてしまいます。

ホテルに帰って昼食を取り、シャワーを浴びて、顔見知りになって、ルームナンバーを言わなくてキーを出してくれるようになったフロントのおネエさんに別れを告げて、空港に向かった。
以前、機内で隣に座った男が汗臭く、気分が悪くなったことがあったので、自分でそれをしてはいけないと、少しお金を払って、チェエクアウトタイムを延長してもらった。
通路を挟んだ隣の男のイビキが凄くて眠れないこともあった。イビキだけならなんとか寝られたかもしれないが、イビキが突然止まって、今度は苦しそうに「グフッ」とかしたので、大丈夫かと気になって仕方がなかったのだ。ご本人は、朝何でもない風に起きましたが、、、、。

バンコクの新国際空港は広く、小さい国の安い飛行機の発着はだいたい端なので、乗り場に辿り着くまで結構歩かされた。着いたら、喉が乾いてしまった。その辺は計算されているのか、小さなスタンドで飲み物が売られていたので、水を買った。
来る時に乗り換えで寄ったハノイの空港で、久し振りにあのミルクがいっぱいの甘いベトナムコーヒーを味わってみるかと、スナックに行ったら、あまりの高さに、「すいません」という感じでスゴスゴ引き返し、仕方なしに水を買い、飛行機の中に置き忘れてしまったのを思い出した。こっちの方が少し(20円くらい)安いしここで買うべきだと思った。そして、「今度は忘れないぞ」と、その時に自分に言い聞かせたのでした。

機内に入ると、後から大きな水鉄砲を持った日本人らしきおネエさんが乗りこんできた。「買ったんだ。あんたは偉い」と感心した。
 
来る時にエアーホステスが無表情で、生き生きしていないと感じたのですが、たまたまなのかもしれないと思っていたのだが、今度もそうだった。やっぱり今まで乗った他の航空機の人たちと違う。好意的に考えれば、まだ慣れていないのかも知れないということになるが、発展途上国のこういう職業は、金持ちの娘しかなれないのかもしれないということを考えると、いつもエバって育ったから、突然仕事で「奉仕しろ」と言われても出来ないのかもしれないとも思う。ある意味、国の顔とも言えるのに、これは印象が悪いのではないだろうか。この点は、アメリカのエアーホステス(腹はどう思っているかは別として)の態度は立派です。
その後、乗り換えでまた2時間位いた待合室の売店のお姉さんさんたちは、ケラケラ笑って、屈託がなくて、可愛かった。(顔ではなく表情が)そんなことから考えると、「ベトナム女性が」ということではないと思います。

ハノイに着き、買った水をしっかり抱えて、乗り換えの待合室に入ろうとしたら、手荷物検査があった。なんと少し前に買って、少しか飲んでいない水を取り上げられてしまった。そういえば、最近は水分の持ち込みはいけなかったのだ。「バンコクの飛行で買ったのにいけないのか?」とか言って、少し頑張ってみたがダメだった。
その間に、隣にあの水鉄砲を持ったおネエさんが来て、その水鉄砲を取り上げられてしまった。英語といろいろ文句を言っていたが結局返してもらえなかった。最後に自国語で何か言ったのを聞いたら、韓国人でした。韓国人を見直しました。
待合室には、いくつかの韓国人グループがいました。何故か、「大阪のおばさん」という感じがしました。(良い意味で)

バンコク便り 6

輸出代行業者が、明日からソンクランのために4日間休むということだったので、午前中にもう1店気になっていた店に行き、商品を買い込んでそこに運び、予定より1日早いが、輸出の書類を作成し、発送の手続きをしてもらうことにした。業者から貰った領収書と荷物がそこに持ち込まれた時に付けられた名札を付け合わせていくと、荷物が1つ足りない。「他の店のものから始めいてくれ」と頼んで、近くのその店に行ったが、閉まっていた、もう休みに入っていたのだ。
でも、その店は信頼できるので、輸出代行業者に戻ってもう一度チェックしてもらうと、あった。その店の人がそこに持ち込む時に、「ラーマヤナ」と書いたため、別の場所に保管されていたのだ。こちらを知らないはずはないので、冗談で書いたのかもしれないが、、、。
昼ごろには支払いも終わり、今回の発送は完了した。

ゆっくりと遅めの昼食を取った後に、東京からのメールをチェックしてみたら、「小さなビーズが入った縫いぐるみの動物を買ってきてくれ」とあった。「以前は、タイでも、インドネシアでも普通にあったが、最近は見ないな」と思いながら、もう店が閉まっているかもしれないと心配しながら、売っていそうな商店街にバスで行ってみると、99%の店が閉まっていた。しかし、閉まった店の前の地面に店がズラーッと並んでいた。「さすが生活力が凄い」と感心。売られていたのは、様々な生活雑貨と水鉄砲がほとんどだった。お目当ての動物は影も形もなかった。せっかく来たのだからと、普段は混んでいていく気がしない横道に入って行くと、なんと来た日から探していたものがあるではないか。喜んであるだけ買うが、予定の半分もなかった。でも、これでお客さんとの約束は果たせた。良かった。ヒョウタンから駒だった。

朝、荷物を整理したところ、もう少しは持ち帰れそうだったので、普段行かない場所をブラブラ歩いて、衣料品をもう少し買い込んだ。なにしろバンコクにいるとことは、問屋街を歩くようなものなので、見るもの見るもの、「これはうちの店で売って良いか?値段は大丈夫か?」と常に考えてしまう。これも楽しいし、ボケ防止にもなると思う。

ホテルに帰るバスから外を見ていると、いたずらっ子たちが集団で大きな水鉄砲を持って街に繰り出し始めていた。今回はシャツの着替えが無いので、水を掛けられたら着るものが無くなるので、そういうグループを見たら少し避けて通ることに決めた。
バスを降りて、ホテルの帰る途中に大きな水鉄砲を持ったびしょ濡れのインド人の若者グループがいたので、「水を掛けられたの?」と聞くと、「そうだ。だからこれを買った」とその大きな水鉄砲を見せてくれた。「こんなに大きなものはインドで買えない」そうだ。来年のホーリーでは大人気かもしれない。別れ際に少し水を掛けられた。
そういえば、「インドは、ジャイ・ホーリー」だけど、タイではなんと言うのか聞きのがし続けている。

バンコク便り 5

明日は、タイ料理に招待されているので、腹の調子をなんとか元通りにしたいと思いながら眠りについたのですが、朝目覚めても、まだ腹が本調子に戻っていなかった。
また油気の無い朝食を取ってから、近くのマーケットを物色して少しずつアクセを買いながら、昨日の船着場からまた乗合船に乗った。
そこまでにたどり着く途中に思ったのは、「バンコクは何でこんなに歩行者のことを考えていないのか?」ということ。エッチラ登って降りなければいけない歩道橋はあるが、地上の「横断歩道」というものがほとんどない。仕方が無いので、信号で止まっている車の横をすり抜けて横断する。そこにはこれを2回しないと行けないのだ。
横断歩道がたまにあっても、「どけどけ」という感じで車が来るので、安心して渡れない。足の悪い人などはどうすれば良いのだ?でも、これは日本人の感覚で、ヨタヨタ渡る人がいれば、きちんと避けてくれるのがタイというところ。誉めているのでも、貶しているのでもなく、何故かそうなのだ。無秩序の中の秩序というか、この辺がこの国の不思議で、面白いところです。そして、それを僕は好きです。道を歩いていて、ぶつかりそうになると、日本の様に表情も変えないのではなく、お互いにニコッとする。これも気持ちが良い。

この日はしっかりと働く若い女性の船掌(?)が、きっちりと船賃を取りに来たので、行き先を言い、当然前日は乗ったことは無視してお金を払った。

前日、気になっていたものを買い込んだら、こちらの輸出代行業者に送っておいてくれるというので、身軽で動けることになった。身軽になったので、そこからバス1本でいけるインド人街にもう一度行って衣料品を少し買い込んだ。女主人が自慢するように確かに良いもので、現地で見つけるのに苦労しそうなものだったが、インドと比べると、非常に値段が高かった。でも、どうしても欲しかったので、諦めて買ってしまった。
その後、輸出代行業者にそれを持って行き、ホテルに帰り、昼食後、夜のタイ料理のために体調を整えようと思い、ベッドで1時間ほど寝た。

「よし、元気」と起きるつもりだったが、相変わらず腹の調子が戻らなった。残念ながら、タイ料理のご招待を断りに行き、「次回は必ず」と約束した。前々回バンコクに来た時も、インド料理を食べたら、その晩から翌日の午前中はトイレから離れられなかった。疲れと食べすぎには気を付けねばいけないといつものごとく反省した。

近くのショッピングアーケードを歩いていたら、インドのバジャン(ヒンドゥ教の神様賛歌)が聞こえてきた。「何だ?」と思って、そこに行ってみると、スマホを乗せたショーケースの内側にインド人と思われる店員と外にはインド人が集まっていた。そういえば、今回はインド人のグループが多い。我が宿泊しているホテルにもインド人が泊っていた。インドの人たちも少しお金の余裕ができてきたので、家族でバンコクに来て、スマホを買うのでしょう。それからまだウロウロしていたら、もう4,5店で同じような光景を見た。前回は、イラン人だったが、今回はインド人が非常に増えました。特に夜などにこの界隈を歩いていているのは、インド人、アラブ人とアフリカ人が特に多い。安めのホテルと、衣料品、雑貨の店が多いので、それほど裕福ではない外国人たちが集まります。そして、アラブ人、アフリカ人たちはここで商品を買い込み、自国に送り出しています。アフリカ人は一時少し減ったようでしたが、また増えてきたようです。
それから、夜の屋台にソンクラン用の水鉄砲を売る店が増えてきました。息子たちがまだ小さかったら、土産に買って帰りたくなるような大きさのものもありました。
インドには、「ホ-リー」という同じようなお祭りがあります。昔、息子たちが小さい頃にインドに行った時に、ちょうどホーリーにあたり、友人の家の周りで近所の家の人たちと散々水のかけっこをして遊んだり、とにかく友人の家に入ろうとすると周囲の上の階から水入り風船が飛んできたり、バケツの水が降ってきました。息子たちが他宗教徒に水を掛けて怒られたこともありました。チェンマイでのソンクランことなどなど、いろいろ思い出しました。

バンコク便り 4

夜中にトイレに起きた。最近は、ほとんど毎日夜中にトイレタイムがあるので、「今日もかよ」と思いながらトイレに行ったら、どうも腹の調子が悪く、痛くはないけど、シクシクという感じで、腹の中で何かが起きているようだった。
いつものように立ったままにするか、座るべきか迷った結果、どっちにでも対応できるように座りました。凄い下痢ではなかったが、座って良かった。
「来る時の飛行機の中で、タダのワインをがぶ飲みして、ホテル着いてからも成田で買った“氷結”を飲んだり、ちょっと飲みすぎたこと。突然暑いところに来て、まだ身体が順応していないこと。そして、昨夜食べた焼きそばは旨かったのだけど、脂っこかったのと、にんにくの量が半端ではなかったことが原因だろうな。そんなにひどくゆるくもないので、心配することはないだろうと、眠い頭で結論を出しました。
起きてもまだ腹は本調子ではなかったので、ビュッフェの朝食は脂っこいものは避けて、お粥にいつもならば野菜炒めなどいろいろ入れるのを我慢して、ソーセージだけ入れて2杯食べ、あとはサラダとフルーツ(スイカとパイナップル)だけにした。

それから、昨日のコースで両替屋に行き、乗合船に乗り、衣料品の問屋ビルに行った。昨日の豪雨が街中のごみを洗い流したらしく、運河はペットボトルなどのゴミの量が凄かった。ペットボトルは浮くので目立つけど、沈んでいるものも多いのだろうな。それにしても、船は交通渋滞はないし、涼しいし、住んでいる人たちの裏側の面も少し垣間見ることができる便利で、楽しい乗り物ですが、行き違う時などにザバァーと上がる水しぶきだけは浴びたくない。水は絶対きれいとは言い難いから。
いつもは乗るとすぐに料金を取りに来るので、手に小銭を用意していたが、人手不足なのか来なかくて、払うチャンスが無かった。「お前が悪いんだぞ」と思うことにして、そのまま降りた。(陸に)上がったのかな?

その大きな問屋ビルは、地下1階から4階まで小さな店がビッチリ詰まっていて、Tシャツ、下着、民族衣装などなど、様々な衣料品が売られていて、全ての店を見ていたら、半日はかかると思う。何度も行っているので、大体お目当ての店がどの辺にあるか分かっているので、それらの店に行く間に、いろいろな店をのぞきます。最初のお目当ての店で、期待した商品があったので、それらを選んでキープしておいてもらい、次の店に行き同じ様にして、もう1軒行き、荷物がかなりいっぱいになったのと、体調を考えて、途中に気になったものがあったので、もう一度来ることにして、いつもより早めに引き上げた。
出口にたむろしているトゥクトゥクは値段交渉が面倒なので、タクシーにしたかったが、行く場所が混む(いつも渋滞がひどい)ということで、2台に乗車拒否され、やむなく荷物を運ぶのを手伝ってくれた店のネエチャンに交渉してもらい、タクシーより少し高いが仕方なくトゥクトゥクに乗った。割り込み、反対車線走行などは当たり前で、これに乗る時はいつもヒヤヒヤします。観光客が話の種に一度くらい乗るのは良いでしょうが、、、。

昼もホテルのビュッフェランチを食べた。日本円にして、大体250円くらいだが、その辺のレストランでチャーハンや焼きそばを食べると150円くらいだが、1杯だけだと満腹感は無い。ここだと、炒め物数種、チャーハンも焼きそばも食べ放題で、朝と同じだがサラダとフルーツもあり、ジュースの飲み放題。この時は、暖かいそばがあったので、それにしました。

少し休んでから馴染みの店に行ってみました。いつも観光客や仕入れ業者で大繁盛でしたが、客が全然いません。心配になって聞いてみると、日本人のお客は減ったけど、アメリカから大量の注文があるので、忙しい」とのことで安心しました。この店に古くから勤めている、私のタイ語の先生(英語を話せないので、こちらが本を見ながら話す)であるおばさんの助けを借りて、商品を選んで帰ろうとすと、明後日からソンクランなので、店を休んで、オーナー夫婦はシンガポールに旅行に行くとのこと。そして、翌日の夕食に招待された。「OK」と答えたが、腹が少々心配だった。

またインターネット屋にいた時に集中豪雨があったが、すぐに止み、この日は道路に水がたまることは無かった。

バンコク便り 3

翌朝、「さーて、本格的に仕事するか」と、朝一番に両替屋に行く。20分ぐらい歩いたが、まだ、太陽光線があまり強くなく、少し暑い程度だった。汗をかいてもシャツがあまり濡れないし、昼間でも日影はそんなに暑くないということは、まだ雨期前なので、空気が乾燥しているからだと思う。でも、実はこの雨季前の時期が一番暑い。雨が降れば、気温を下げてくれるからだ。ただし、今度は日本(東京)の夏と同じように蒸し暑くなり、シャツについた汗がなかなか乾かず、クーラー付きのバスに乗った時や、ショッピングセンターなどに行ってしばらくすると寒くなってくる。そして、蚊が出てくる。

さて、張りきって両替屋(銀行よりもレートが良い)に行ったが、店が開いてない。「エーッ」と思って、店の前にいた男たちに、「今日は休みか?」と聞くと、「そうだ。今日は日曜だから」との答え。その時、曜日を間違えていたことを知る。月曜日だと思っていたのだ。

仕方が無いので、軽井沢店用の真鍮の鈴を探したり、面白いインド物を物色するべくそこからバス1本でいけるインド人街に行くことにした。
昔からあったスィク教のお寺の隣に大きなショッピングセンターが出来たので、以前よりは、明るい街になりました。でも、借賃が高いようで、ここでの商品の値段は少し高いような気がしました。昔ある衣料品屋の横を入って、止まったエスカレーターを上がったところの方が、うす暗くインドの雰囲気があるし、そこにいるインド商人も胡散臭くて面白い。とにかくここは、ヒンディ語が通じるのが楽しい。ヒンディ語、タイ語、英語のごっちゃ混ぜの会話も楽しめます。スィクのおじさんにスィクの挨拶をすると、その一言で顔が柔和になったりもします。
結局、お目当ての鈴は見つからず、アクセサリーとCDを少々買い込んで、中華街まで狭い路地を物色しながらトコトコ歩く。大好きな飲茶を食べるためだ。店に入ってメニューを見ると食べたいものだらけだけど、いつも食べすぎるので、少し自制する。以前ここで、食べていたら、スィクのおじさんも食べていて、「タイの中華街で中華料理食べているインド人がいて、それを見ている日本人がいる。すごく国際色豊かな光景ではないか」と、一人で面白がったことがあります。
日曜日なので、問屋は閉まっているかもしれないが、お土産と地元の人たちが行くショッピングビルは開いているだろうと、ホテル近くの大きなショッピングビルに行って、いろいろと情報を集める。ついでに、あまり買う気はないがシルバー屋も何軒か覗いて、デザイン、価格などをチェックしてみる。アフガン人の店があったので、久し振りにアフガン語も話したくなり、少しおしゃべりをして、買物もする。

近くにあった中華料理屋で焼きそばを食べて、ホテルに帰る前に、インターネット屋で日本にメールなどを書いていたら、凄い雨が降ってきた。日本で言う「集中豪雨」です。もともとはこちらが本家で、日本も「地球温暖化」のためかこちらの気候に近づいたのかもしれません。傘を持っていなかったので、止むまで(いつもだいたい2時間位で止みます)待ってから店を出たら、道路の水溜りが半端ではなく、高いところを選んで歩いていたが、そのうち通れなくなった。靴が濡れると後が大変だし、靴を脱いで歩けるほど安全ではなさそうだったので、迂回して帰る羽目になってしまった。ホテルまでの道は低いのか、以前も水が出て、靴のままジャブジャブ歩いたら、翌日チェンマイに行く飛行機の中で足が冷たくて参ったことがありました。

バンコク便り 2

床屋ですっきりして、ウイークエンドマーケットに行こうとバス停に向かう。
いつものように、途中にある大きなホテルの観光客相手のショッピングアーケードを抜けて行きます。暑さ回避にもなるし、ズラーッと並んだ店の商品を見ながら、今回は何を買うかというアイデアも浮かぶし、ここは高いので、どうしても他で見つからない時以外はほとんど買いませんが、興味あるものを見つけると値段を聞いて、自分が買う時の参考にします。

反対側に抜けたホテルの前でクーラー無しのバスに乗り込むと、以前は運転席にしか無かった扇風機が乗客席にも1つ付いていたので「ウン?バンコクも変わったのか?」と思ったのですが、渋滞になった途端に車掌の姉ちゃんが、読みかけの漫画を読み出したので、やっぱり変わっていなかった。それを見て、ホッとしました。それから、乗降口の一番前の席に老人が座っていましたが、僧侶が乗ってきました。その席は僧侶の席で、座っている人が必ず立ちます。「どうなるか?」と思ったら、僧侶が乗ってきたのを見た老人の後ろの男がさっと席を立ち、老人がその席に移り、空いた席に僧侶が座りました。言葉も何も無く、至極自然に。「やっぱりバンコクは変わっていない」と、また安心しました。

ウイークエンドマーケットは。年々膨張していっているので、以前行ったことのある店にもう一度行くのがだんだん困難になってきています。表にあった店が、中に入ってしまうのです。今回は、3年くらい前に行ったことがあるタイシルクの店を探したのですが、「確かこの辺を入った筈」と思って入って行くとダメで、もう一度外に出てまたトライしてまたダメで、なんてことを何度か繰り返したら暑さに負けてきてしまったのと、人が多いので自由に動けないし、とにかくもうこれ以上そこにいられなくなってしまった。「いいや、街で探そう」と諦めて、知り合いのカレンシルバー屋に行き、少し話す。「シルバーの値段が上がって、買う客がいなくなり参っている」とのことでした。後で街でも確認しましたが、カレンシルバーを売る店がかなり少なくなっています。シルバー屋が多く集まる通りも閑散としていました。今は、シルバーが売れないのだろうと想像できます。
面白い仏像が無いかと探してみたが、ついもと変わらないので、ほとんど買えなかった。

仕方が無いので、「お客さんからの要望の強い孔雀の羽根のピアスでも探すか」と安いアクセサリーのマーケットに行った。ここも相変わらず凄く盛況だった。両側はもとより、路地があれば路地にも入って1軒1軒シラミつぶしに探して歩いたが、孔雀以外の羽根のピアスしか見つからず、やむなく少し買い込む。それと、ビーズや貝のネックレス、ブレス、ピアスもついでに買い込んだ。
疲れたので、ホテルに帰って昼食を取り、部屋で少し休んでから、例のホテルを今度は2階を物色しながら通り抜けて、直結している歩道橋(このホテルと同じように他のシッピングビルも歩道橋が直結しているところがあるので、よく使わせてもらっています)を渡りバスに1駅乗って、去年の暴動の時に正面を焼かれてしまったという大きなスーパーに行った。恐る恐る前に立ってみると、流石バンコク。立派に立ち直り、アメリカのファーストフード店が、デンと正面を飾っていた。早速2階に上がって、土産用のビール(ホテルの冷蔵庫に入っているものは高いので、飲みたくなったらこれを飲んで、また買えばよいとの理由もある)、スナック菓子などを買い込んだ。

少し涼しくなってきたので、帰りは歩くことにした。トコトコ歩いていると、新しく出来たホテルの前の路上でアクセサリーを売る店(?)になんと「クジャクの羽根のピアス」を発見。早速、あるだけ(5ペアーだけ)買い、「明日もっと持ってきてくれ」と頼み、そのままホテルに帰って夕食。その後、シャワーを浴びて、洗濯(実は、着替えのTシャツの忘れたので、上に着るものは、着ていったTシャツとYシャツそれに帰りの着替え用のYシャツ1枚の計3枚しかなかった。そうなると、面白がって、意地でもTシャツを買わない決心をして、しかも洗濯は自分ですることにした)をしたらグッタリとなってしまい、テレビでサッカーを見ながらそのまま就寝。

黄泉(よみ)の犬 藤原 新也 

バンコクだよりから少しより道させてください。

黄泉(よみ)の犬 藤原 新也 文春文庫 ¥ 690(Amazon調べ)

旅から帰ってきて、彼の「印度放浪」を読んでファンになり、それ以降は、「アメリカ」という作品までは全部読んでいて、はるばる屋のリンク先に勝手にリンクしたりしていたのですが、そのうち書店や図書館に行く余裕が無くなり、彼の作品から少し遠ざかっていました。

先日、ナマステボリウッドのすぎたさんとのメールのやり取りの中で、彼が、「今、藤原新也のこの本を読んでいます。麻原のことなどが書いてあり、面白いですよ」と教えてくれました。以前オウムの事務所が近くにあったことがあり、信者がうちの店に来たことがあったり、インドに行った時に「オウム真理教様ご一行」と往復とも同じ飛行機のこともありました。例のサリン事件があった時は、何故か「これはオウムがやった」と口走ったこともあります。そんな訳で、オウム真理教にも少し興味があったので、早速図書館から借りてきて読んでみました。

基本的には1つのテーマなのですが、3つに分かれていて、最初はオウム真理教の麻原について、次にインタビューをさせてくれと言ってきた学生との話、最後にインドで出会った同年代の男の話。彼はかなり自分のことを赤裸々に語っていて、インドに行き、いろいろ体験したことをベースに麻原のことなどを書きつづっています。

彼は芸大を中退してインドに行きました。同じ頃に僕もインドに行きましたが、それはヨーロッパから日本までの帰り道で、ネパールに行く途中の通過点でした。その違いが、その後の人生を分けたようです。(もちろん、芸術心、文才など諸々の才能のことは考えないで書いています)
彼と同じように火葬場で人が焼かれる状況を見たし、臭いもかぎました。何かの加減で、髪の毛が燃えた時などには、あの臭いを思い出します。彼は何週間も眺めていましたが、僕はたったの2日ぐらいで先に進みました。
宗教に対するスタンスも同じようなものですが、僕はホーリー(春の水かけ祭り)などの時には、進んで参加しますが彼はしません。これについては書かれていませんが、彼は決してガンガーでの沐浴などはしなかったと思います。僕も絶対しません。それは、水が汚いという理由ではないです。彼らの宗教に帰依しているわけでもないのに、それをすることは、彼らを茶化しているように感じるからです。穴からバイキンが入るというので、若い女性が、「穴を塞いでガンガーに入った」とか、mixiに書いているのを読むと、ぞっとします。
彼がインドに行きはじめた「70年代から世界中から宗教がらみでインドに行く若者が多くなった」とあります。1時は、教祖の写真が付いたペンダントをした日本人を含む外国人がたくさん渡印していました。それを見て、インドの商売相手に、「お前がアカンバーをした写真を入れた同じデザインのペンダントを作ったら売れるかも?」と言ったことがあります。今でもそういう人たちも少しはいますが、今の日本の若者は、「怖いものを高みから見る」というサファリワールドでバスに乗る感覚の若者が多い気がします。平気でガンガーで沐浴できるのもそれの延長線だと思います。
すべての移動を日本から予約しないと不安」などと書き込む輩もいます。思った通りになることが当たり前で、それ以外は考えられないのか?耐えられないのか?これも彼の言う一つの病理かもしれません。




バンコク便り 1

桜の花がほころび始めたのを横目で見ながら、日本を発ち真夏の気温のバンコクに降り立ちました。
夜にホテルに着き、外に出てみると、春を抜かしたので、特に感じるのかもしれないけど、暑さがキツク、頭がボーとしてしまった。そこで決めたのが、「明日第一にやることは、髪を切る」だった。

翌朝、朝食後に前夜チェックしておいた近くの床屋に行った。一時も早く髪を切りたかったのだ。
おばさんに、辞書で調べた「短い」という単語を言い、指で示したのですが、あまり通じないようでした。こちらもたいしてイメージがあるわけ無いので、わかる筈はないかもしれないと反省して、サンプル写真が載っている本を持ってきてもらいました。

そこに短髪の写真を見つけて、「これ」と、指で示した。このとき、メガネを外していたので、乱視、遠視(老眼)で、最近なぜか出てきた近視状態だったのだ。それだけ焦っていたのかもしれない。

おばさんは、「ウン」と頷いて、「OK?」と言って、電気バリカンを見せた。
「後ろぐらいは良いや」と思って目をつぶった。するとそのうち、横に回ってきた。「横も下の方だけなら良いや」と思っているうちに、「結構上まで上がってきたかな? ウン?」と思った瞬間、バリカンが頭の上に行ってしまった。
驚いて目を開けると、前髪半分が下に落ちる瞬間だった。ここでなにを言っても仕方ないので、あとは終わるのを絶えて待つだけだった。

終わった後にメガネをかけてもう一度その写真を見ると、確かに坊主の写真だった。

心で泣きながら、笑顔で「ありがとう」と言って、お金を払って床屋を後にしたのでした。

洗髪がとにかく楽。シャンプーもほとんどいらないし、ドライヤー(普段も使わないが)も必要なし!
良いことずくめです。

皆さんも坊主にしましょう。




プロフィール

はるばる屋 店主

Author:はるばる屋 店主
はじめまして はるばる屋店主です。

大学を卒業して、スイスに山を見に行き、安いというだけの理由で、陸路でアジア経由で日本に帰ってきました。
途中で垣間見た現地の人々の生活や習慣に非常に興味を持ち、

もっといろいろ知りたい

それにはもう一度行かねばならない

そうだアジアに関わる仕事をすれば良い

という三段論法と、

アジアの素晴らしさをもっと他の人にも伝えたい、それにはどうするか?

そうだ!現地に行って商品を買ってきて売る商売をすれば、自分はアジアに行けるし、彼らの文化・技・手のぬくもりを伝えられる。

などと考えて始めたこの商売。
気が付けば、もう30年以上も経ってしまいました。

アフガニスタンで何かあると、「あのおっさんは大丈夫だろうか?」、タイで爆破事件が起きると、「あの場所は、タイに行くと何回も利用する船着場」とか、何時もアジアのことを意識しています。
昨今、ベリーダンス、ヨガなどに人気が出てきました。でも、アメリカ経由の流行という感じもします。まっすぐアジアに興味を持って、好きになってくれる人たちが増えると嬉しいです。

はるばる屋のホームページは、http://www.harubaruya.com/ です。
ネットショップでのお買い物は、こちらからお願いいたします。
BBSでは、アジア関係の催し物の書き込みもご覧いただけます。

よろしくお願いいたします。

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